
こんにちは。

macライフのあんちゃん13です。
ユーチューブ見てたら出てきたので、懐かし過ぎて、

思わずダウンロードしたので公開します。
石川優子さんリリース曲
1981年シンデレラ・サマー
1988年春でも夏でもない季節
2005年ドリーミー・ドリーマー
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石川 優子(いしかわ ゆうこ、1958年〈昭和33年〉10月3日[1][2] – )は、日本の歌手、シンガーソングライター。本名、田中 優子。旧姓、石川。
高校3年から短大にかけてはバンドの「ファンタスティック」などに参加して活動した。
1978年、第16回ヤマハポピュラーソングコンテスト[4](通称ポプコン)つま恋本選会に、CHAGE and ASKA、円広志、大友裕子、クリスタルキングらと共に出場し、「夜の雨」を歌った。
1979年、国際チリ音楽祭に「悲しさ夢色」で出場した。同年3月「沈丁花」でプロデビューした。続く2枚目シングルでは、石川本人が作詞・作曲した「レット・ミー・フライ」をリリースした。同年10月発売の三枚目のシングル「クリスタル モーニング」が、本人出演の「コルゲントローチ」CM曲となり、スマッシュヒットした。1981年には、シングル「シンデレラ サマー」が同年のJAL沖縄キャンペーンソング[5]に使用された。
まず、石川優子さんのシンデレラサマーです。
二人の愛ランド
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現在のプロフィール
1990年に引退
石川優子さんは、1990年7月のファイナルコンサート「愛を眠らせないで」を最後に、音楽活動から正式に引退しました。音楽活動から退き、メディアとの関りもなくなりました。その後、彼女自身が話したようにニューヨークに3年間留学。1994年に元マネージャーの田中さんと結婚し、1996年に男の子を出産しました。ということは息子さんも、もう29歳になるということですね。
彼女は人気、実力ともにこれからと思われてた時期に歌手を引退しました。引退を決めた理由についてはこちらの記事をご覧ください。
石川優子1990年に引退した真相を語る
ニューヨークに留学するため。そして音楽がすべての生活では本当の自分を見失ってしまうという危機感を持ったため」でした。
私、石川優子にとってですね。80年代というのは外に向かって駆け抜けた青春っていう感じがするんですけれども、私の90年代は・・・そうですね、
今度は自分の内に向かって生活を楽しんだ90年代っていうそういう感じかなと思います。今日のテーマは「あなたが一大決心したこと」ということなんですけれども、私、石川優子にとって1990年ですね。一大決心がありました。
あの「愛を眠らせないで」というね、ファイナルコンサートを最後に、
まあ、歌手活動をちょっと一旦引退するということで一大決心をしました。
なぜ歌手をやめたのか
「何で?」ってよく聞かれるんですけれども、本当にね。あの11年間だったんですけども、デビューしてから、もうずっと音楽のことを考えて、本当にどっぷりと浸かって
24時間365日ずっと音楽のことを考えて、アルバムをレコーディングして、そして曲を作って、ツアーをしてというのをやっていて、もう夜中とかでも、寝てるとがばっと、なんか今、音楽が聞こえてきたという感じで目が覚めるんですね。
で、そこから曲作りを始めるんです。まあ、だーって一曲できちゃう時もあれば、一節このメロディいいなって出て来て、よし、じゃあ、もうここはこれでいいやと思って、じゃあ寝ようと思って寝ると、また今度、次のところが出て来るんですよね。
それを繰り返していると結局朝になってしまった。夜があけてしまったなんていうことも多々ありました。そういう感じで、24時間頭の中が音楽でいっぱい。自分のやりたいことでいっぱい。映画を見てても、なんかのワンシーンを見ていると、音楽が出てくる。曲が出てくる。人の話を聞いてても曲が出てくる。何をしていても、曲が出てくるんですね。人のコンサートを見てても、この照明いいなあ。どこがいいのかなとか、その素で楽しんでるっていうのが、だんだん無くなってるような気がしてきたんですね。私生活が全部仕事になっちゃってる、というようなことにふと気が付きまして、私このままこういう生活をずっと続けていくのかなってある日ふと考えたんですね。
天の声かもしれないな。ちょっとこの辺で、昔のこと自分の原点に戻ってみるって言うのはどうなんだろうとふっと思ったんですね。
それでじゃあ、ここでちょっと一旦その自分の内なるところを外に向かってっていうよりも、内なるところを追求したいな、私って昔、留学したいなあって思ってたじゃん、ニューヨークの街角でなんか茶色いペーパーバッグみたいなんか抱えてお野菜をいっぱい入れて、ちょっとバケットって言うんですか。フランスパンってみたいのがちょっと覗いて、それを抱えながらリンゴをかじりながら、ニューヨークの街角を歩くみたいなのに憧れてたじゃん。そんな生活をしたいと思ってたんじゃん。私ってこうだったじゃんって言うみたいなものがどんどんあふれてきて、止められなくなってしまったんですね。
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