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40年前のmacも凄かったmacとパソコンの歴史が分かる

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40年前のmacも凄かったmacとパソコンの歴史が分かる

macと初めての出会い

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私がmacを初めて触ったのは今から約30年前の1990年頃のこと。

当時社内に導入するパソコンを選定する候補は3つあった。

①日本のNEC製のPC98

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当時日本国内ではパソコンと言えばNECのPC9801と言うくらい圧倒的なシェアを占めていました。理由の一つは、漢字がROMに書き込まれていたため、漢字変換の速度が早いこととメモリを使わないことです。

NECのぱそこんはPC-8000,PC-8801が8ビットパソコンとして登場して、後に16ビットパソコンのPC9801が登場した。このNECが凄かったのが独自にN88basicという言語を開発し、一般の開発向けに浸透していったことです。

私も社内でN88Basicを使って、ちょっとしたプログラムを作っていました。

部署が変わって、N88Basicを使って、表計算ソフトと同じものを作れといわれました。内心そんなんできるわけないじゃんと思いつつ(当時はロータス123ロータスワンツースリーと読みますやマルチプラン)がありました。

②DOS/Vパソコン

IBMを中心に作られていたパソコン。で世界的なシェアは高かった。

漢字変換をメモリー上で処理するため、メモリーを多く使っていた。

③macことMacintosh

当時から高価ということから買いたくても買えないパソコンであった。

CPUの歴史

8ビットCPUインテルのX86系とモトローラー社の68000系の2択であった。

パソコンのCPUと言えばインテルという構図ができた。

16ビットCPUとして286(にーはちろく),386(さんはちろく),486(よんはちろく)と次々にCPUの性能が向上していった。

486の次は586と思いきやPentiumという名称でした。その後、corei-coreiDuoとなり、corei3,5,7と進化していきました。

8ビット16ビット32ビット64ビットと目まぐるしい変化の時代でした。

CPU性能の見分け方

一般的に言うとCPUの性能は、コアの数が多い方が性能が良く、動作周波数またはクロック周波数と言います。その数値が大きい方が高速処理ができます。

これまで製品化されたMチップの一覧表をまとめましたのでご覧ください。

Mチップ比較

ご覧の通りコア数だけを見れば、M2よりM1Proのほうが多いです。

但し、M2チップにはメディアエンジンが搭載されていて、画像・動画処理の高速化がされてます。

コア数だけを見るとM1ultraが最高性能となります。

なので、M1,M2,M3と言う見方よりもコア数とクロック周波数をみるほうが正しい性能を理解することができます。

他方、省電力となると、また違う見方が必要です。チップ内の回路を繋ぐためにどれだけ、細い線を使っているかがポイントになります。M2は5nm(ナノミリ)と言われています。1ミリの10万分の1の細さです。

インテルは圧倒的なシェアを誇った。

モトローラ社は、UNIX系で使われるようになっていた。

macのCPU

今ですらApple独自のM1,M2だが、インテルのCPUを使っていたのはご承知の通りですが1980年台は、モトローラー社の68000系が使われていました。

MS-DOS

MS-DOSのときは大変だった。ファイル名は、全角で4文字・半角で8文字しか使えなかった。

Macはそこまでの制約はなかった。

Windows95になって、ファイル名が全角で128文字まで使えるようになった。

OSのUNIXに対しMicrosoftがリリースした

MS-DOS(Microsoft Disk Operating System)はパソコンのOSとなった。

日本ではMS-DOSはMicrosoftとNECとそれぞれあった。

キーボードからプログラム言語を入力してソフトを作っていた。

FEP(FrontEndProcessor)フェップ

日本語変換機能は、大変貧弱であった。FEP(FrontEndProcessor)フェップと呼ばれ、標準の日本語IMEは、使い物にならなかった。そんな中、徳島県にあるジャストシステムが一太郎を開発・販売して、その日本語変換(ATOK)は、好評だった。管理光学研究所は、「松」と言うワープロソフトを開発・販売して、松の日本語変換は「松茸」と言い、これも良かった。

この日本語変換は、起動時に設定したものが使われ、切り替えるときは、パソコンの設定を変更して、再起動しなくてはならなかった。

そこで、便利だったのが、アイ・オー・データ機器が開発したリブートというソフトで、当時は、重宝だった。リブートするときに、システムファイルである「config.sys」と「autoexe.bat」を指定できた。この2つのファイルの設定で日本語変換機能を切り換えていた。

当時パソコンは、部署に1台の設置だったので、日本語変換は、個人の好みで使い分けたかったところこのリブートが大活躍した。

このころは、8インチのフロッピーディスクが全盛期で後に5インチ3.5インチになっていきました。

当時のOSはまだMicrosoftのMS-DOSで、Windowsはまだなかった。そのころからmacは今のUIだった。しばらくして、MicrosoftがWindows3.1をリリースした。

Windowsの歴史

Windows95が登場して、割と安定動作していました。その後98までは良かったもののWindowsMEは最悪で、使い物にならなかった。次にダメなのがVISTAです。これもどうしようもなかったWindows7が出て、ほぼ安定です。

振り返れば、散々な時代がありました。その度にお金お金で、macとは大違いmacはバージョンアップしても無償です。

これがmacとほぼ同じUIユーザーインターフェースであった。

macと異なる点は、デスクトップ上のアイコン配置がmacは右でWindowsは左だった。

Windowの最大化・最小化ボタンも左右の位置がmacと反対なだけ、当時はまだエクセルはなく表計算と言えばロータス123かマルチプランが主流であった。

当時日本では、NECのPC9801がシェアを占めていました。

Windowsの末尾が偶数のバージョンのOSはMicrosoftにとって鬼門か

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macの凄いところ

当時からmacは、外部機器をmacにケーブルで繋げば、何もすることなく動作していた。(プラグ&プレイですね。)一方、Windowsは、ケーブルを接続して、外部機器を動かすためのドライバを探してきて、セットアップするのに一苦労していました。1995年Windows95がリリースされて、シェアはWindowsに急展開です。

そのころからmacが欲しいとは思っていましたが、いかんせん値段がお高いので手をだせませんでした。

当時、日本では

徳島県に本社があるジャストシステムのワープロは一太郎、お絵描きは花子、表計算は三四郎でした。

それが2000年頃からワード・エクセルパワーポイントになっていきました。

懐かしい限りです。

macOSの潔さ

当時のmacはsystem7でした。そのころのmacはフリーズすると爆弾マークが出て、

それまで作っていたものが、パーになりました。Windowsは、砂時計のアイコンになって、フリーズしたのかただ、処理中なのか分からずじまいで、リセットすることしかできませんでした。聞くところによるとmacの爆弾マークの名残が

今のクルクルレインボーなんですね。

そのころからmacにはエクセルがありました。

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それが今では自分自身がmacを使ってます。

逐次追記していきますので、首をながーくしてお待ちくだされば幸いです。

Enjoy-maclife

macライフのあんちゃん13でした。

最後までご覧くださり

ありがとうございました。

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